住職ブログ

いじめについてみんなでもう一度考えてみましょう…

2012年07月23日

滋賀県大津市で中学生のいじめによる自殺という事件が起きたのはご存じだと思います。将来のある子供が自らの命を絶ち 自らの将来の希望を絶つという事は、この上なき悲しく傷ましいことです。事件の概要が明らかになっていく中で、「自殺といじめの関連性は認められない。」などと自分たちとは無関係だと主張するわがままな周囲の大人たちの姿に悲しくなります。

被害者の子供がそのように感じて自殺をしてしまっている以上、いじめは絶対にあったと周囲の大人は考えなければなりませんし、なぜ助けてあげられなかったのだろうと悔やまなければなりません。いじめは、被害者の子がそのことによって苦痛に思ったら、成立するのです。周囲の大人は、子供たちの心の声を聴かねばなりません。

一方で、いじめをしていた子供達も可哀そうな存在であると考えるのです。中学生という年齢の彼らに責任を問えるかどうかについて いろいろテレビやラジオで関心が集まっています。しかしそれとは別の視点から「何故いじめをしたのか」を考えてみる時、そこに彼ら自身の精神的弱さというものを感じさせます。つまり、自分より弱い人間を作り その人間をいじめることによってしか自分の優位性・存在意義を感じることが出来ないという、自己中心的で幼稚な精神構造であると言わねばなりません。彼らが何故そんな精神に育ってしまったのか、それは育ってきた家庭環境に問題があったのかもせれません。自分さえ良ければそれでいい、自分の思い通りになればそれでいい、という現代社会では普通となってしまっている悪しき風潮が、彼らの家庭で知らず知らずのうちに普通になっていた部分があるのではないでしょうか。彼らの家庭だけではありません、私たちの家庭でもそうなり得るのです。子供達には家庭の中で、もっと情緒豊かに、もっと他人の喜びや悲しみがわかる人に育ててあげる、大人としての道徳 大人としての生きていくための作法を身に着けさせる必要があるのです、立派な成人となるために…。将来のある全ての子供達のために、私たち大人はよく家庭での教育の在り方というものをもう一度しっかりと考えなければなりません。それが、大人として子供たちに伝えるべきの責任なのではないでしょうか。