住職ブログ

新春のご挨拶

2013年01月08日

お正月より毎日寒い日が続いております。皆様、風邪などお引きではございませんでしょうか。

新年 明けまして おめでとうございます。平素より、私のつたないブログをお読み頂きまして、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げています。

 毎年の言い訳で恐縮ですが、竹生島での新年大祈祷法要やその他の新年行事が続いており、昨日、長浜の陸地のほうへやっと渡ってまいりました。竹生島ではインターネットが出来ませんので、更新が遅くなりました事を深くお詫び申し上げます。

さて、昨年の大きなニュースとして『いじめ』の問題がクローズアップされました。その中で、命を落とした被害者がいるのに現状を直視しようとしない教育関係者の対応には愕然としたものです。勿論いじめの加害者の子供達の罪は深く 許される事ではありません。しかし、一方で彼らに平気で罪を侵させてしまう様に育ててしまった周囲の大人たちの作る環境にも問題が有ったのではと思うのです。

慌ただしい激流のように時間が過ぎてゆく現代社会。心は余裕を忘れ、見つからなけば人に迷惑をかけてもいい、自分さえ良ければばいいんだという現代の風潮。

彼らの家庭の中でも、そんな悲しい考え方が当たり前になっていたとしたら恐ろしい事ではないでしょうか。いや、この事は、私たちの家庭でも陥りやすい事でもあることを考えなければなりません。

私たちは、今一度自分の足元を見つめ、自分と他人の双方の尊厳を大切にするという人間としての基本的な心の在り方を大切にしなければならないと思います。

そんな願いを込め、この句を捧げます。

水 急 不 流 月

   [ 水(みず)は急(きゅう)なれど 月(つき)は流(なが)されず。]

急流に水の流れが速くても、そこの映る月影は流されることはない。慌ただしい日常生活のなかで月影のように変わる事の無い人が本来一番大切にしなければならない心理を大事にしたい。

大切な心理とは、「周囲の人の心に思いやり、周囲の人の情けに感謝する。」ことです。

朝日新聞の広告で「『愛する』の反対の意味は?」というのがありました。答えは、『無関心』という事だそうです。相手の心を気遣えないというのは、本来私たち誰もが持っているはずの慈悲の心(愛する心)を捨ててしまっているのです。