住職ブログ

終末医療と尊厳について私の考え Vol.2

2012年11月28日

母は嚥下障害により、誤飲からよく肺炎を起こすようになりました。そこで、平成16年に「胃ろう」の手術を受けました。その時には意識障害や痴呆も進んでおり、話もほとんど出来なくなっておりましたが、「胃ろう」が始まると無意識に口をもぐもぐと動かしていたものでした。しかし、昨年9月ぐらいより、再度肺炎を起こし、体調も悪化してまいりました。家族も助けて頂いていた周囲の方々も母の終末医療について考えねばなりませんでした。その時、医師や医療関係者と家族との意識の隔たり大きさに驚きました。私は、母の現状を考えて、もうこれ以上の積極的な治療は望まない 母の命が自然に蝋燭が尽きて火が消えるように安らかな最期を迎えさせてやってほしい、痛みや苦しみの抑制や緩和だけしてやって頂ければありがたいと申し出ました。しかし、その時のY医師は、「胃ろう」は勿論 点滴なども一切やめて自然に任せるべきだ、自分の力で食べられないという事は本人に生きていくという力が無いという事だ言いました。そして、医療費の増大が問題になっている昨今の時代に無意味な事はすべきでないと言い放たれました。苦しみや痛みの緩和も無意味なのでしょうか。死にゆく者の尊厳は、本当にこの医師の言う所にあるのでしょうか。私も、治らない母に機械を付け無理に心臓を動かさせ、効くかどうかわからない薬をバンバン使いたいなんて思ってもいません。本人が心穏やかに最期を迎えられる(母の場合は話も出来ませんでしたから、迎えられるであろう)環境を整えることだと思ったのです。

実際、意識が薄れていても痛そうな顔をしたり、息苦しそうにしている姿を見れば、只々そう願うのが人の情ではないでしょうか。

最終的に母は、この医師のいる施設を出て、市内の病院に入りました。その病院の主治医の先生に終末医療の考えについて相談しました。この先生はよく理解をして下さり、穏やかに最期が迎えられるよう努力をしましょうとおっしゃって下さいました。入院して8日目、母は旅立ちました。苦しそうな姿もせず、家族や主治医の先生や看護婦さんに見守られ、眠っているように仏のもとへ行きました。本当にこの病院の主治医の先生には感謝しております。

医療過誤の問題は重大です。医療費増大の問題も重要です。しかし、だからと言った医療費削減からだけで、この終末医療の在り方を議論しないでほしいのです。本当の尊厳は、本人の希望(希望するであろうこと)や家族の情というものを大切にしたところにあってほしいと思うのです。