住職ブログ

「ごめんなさい」が言えない大人たち

2010年08月27日

お寺にとって一年でもっとも忙しいお盆の季節も無事に過ぎ、先日 北海道へ出張に出かけてまいりました。毎年 聖徳院さんというお寺を訪ね、ご住職様やそこの集われている信者様とお会いするのをとても楽しみにしております。
さて、このご住職様のお話は、次回に詳しくお話させて頂くとして、その帰り 千歳空港から大阪への最終便の飛行機でのこと。出発時間が過ぎても飛行機は動き出しません。私の席は搭乗口のドアの直ぐ傍で、乗務員の方の声がよく聞こえたのですが、何でも搭乗予定の人がまだ来ていないとの事。それから15分近く経ち、お客さんの中には「大阪に着いてからの交通の便が間に合わなくなってしまう。」との苦情も出始め、乗務員の方々もドアのところに集まり、まだ来ない人々の荷物を降ろすかどうかと相談している所へやっと当事者が現れました。60歳台半ばの御夫婦2組で、申し訳なさそうにするでもなく、恥ずかしそうにするでもなく、係員の方に急かされても ぺちゃくちゃ会話しながら乗って来きました。その態度に私以外にもびっくりされた方も多かったようです。急がせる係員の声を素直に置けとめる態度や迷惑を掛けたことへの素直な反省の態度の欠落はひどいものでした。以前、日本人は外国の方々から「礼儀正しい」「親切である」という声をよく聞いたものですが、それは日本人が美徳として大切にしてきた 自分の周りの人々への「気遣い・心遣い」にその源流があるのです。それが希薄になっていっていることは大変に悲しいことですね。


普段のちょっとした気遣いの重要さ

2010年08月07日

先月、新しい職員さんが入ってきました。この2人は同い年で、Aさんは市役所を定年して、Bさんは小さな町工場を経営していましたが60歳を期に工場を閉じて、再就職で来た方です。昨日、この2人が宿直の時に使用する部屋の窓の横に網戸が無造作に放置されていました。見てみると、その網戸は客殿の窓から外されて持ってきたもの。私が、「網戸がほったらかしになっているけど、どうして?」と聞いてみると、Bさんは「この間の夜、熱かったので、窓を開けたまま寝るため外してきたが、サイズが合わず置いてある。」Aさんは、「私には関係ありません。何日も前からほったらかしになってるのを知っています。勝手にBさんが持ってきたんです。」とのこと。そして2人が言い争いをするのを見て、本当に悲しい気持ちになりました。「言い争いなんてみっともない。二人とも悪いよ。」と注意を致しました。Bさんには、「必要で持ってくるのは仕方が無いが、使えなかったのなら何故もとの所へもどさないのか。」Aさんには、「ほったらかしなのを知っているのなら、何故自分が片付けようとしないのか。」と。
『物を大切に使う。物をキチンと片付ける。』これは、大人なら当たり前の事です。『自分に関係なければ見てみないふりをする。』事なかれ主義は協調性の欠如の表れです。老若男女を問わず、現代人の無責任性を示して危険さなのです。
よく見てみると皆さんの周りでもきっとこの様な事が起きているのではないでしょうか。


小さな幸せに気付いていますか?

2010年07月19日

先日、近所のあるお嬢さんが回覧板を持って来てくれて、久しぶりに立ち話をする機会がありました。このお嬢さんは、いつも元気ハツラツ、笑顔も素晴しいお嬢さんです。「渚(仮名)ちゃんは、いつも明るくって可愛いねェ」と声をかけると、「良い事ばかりじゃ無いですよ。就職希望していたところが、今年は採用中止だって。来年もう一度チャレンジしたいけど、それまで・・・。」と彼女。どうしても就きたい仕事がある彼女ですが、現在、家庭教師のアルバイトをして、来年の就職を待っているのです。「でも、くよくよしても仕方が無いでしょ。今私が出来ること頑張るしかない。でも、そう考えるようになって、日々の生活の中に今まで気が付かなかった幸せや嬉しい事がいっぱいあることが判ったの。」彼女はそう答えていました。
日々様々な人と関わり合って生きています。人に助けて頂いて、そして人の手助けをさせて頂いて。感謝の心と、奉仕の喜びを大切にしなければならないのです。老若男女を問わず「自分さえ良ければ・・」という現代風潮、これが如何に不幸な事かということを気が付かなければなりません。人間は一つ欲望が満たされても、更に更にとその欲はエスカレートし、決して満たされないのです。日々の触れ合いの中に在る小さな感動の積み重ねこそ、人としての本当の幸せを感じることが出来るのです。


今後ともご支援よろしくお願い申し上げます。

2010年06月18日

観音様の特別結縁御開帳が閉帳して、もう2週間少し過ぎました。私にとっても本当に意義深く、色々多くの事を学ばして頂いた御開帳でありました。この御開帳の間、私は「特別な来賓の方とご挨拶を申し上げている時」、そして少し不浄な話で申し訳ございませんが「トイレに行っている時」以外、観音様の御前にて全員のお方にご挨拶申し上げ、多くお方とお話をさせて頂きたいと、願をかけてまいりました。多くの方との出会いがありました。問題を感じさせる方もいらっしゃいましたが、『観音の心』『慈悲の心』の重要性を多くの方々と共有させて頂けた事に感謝致しております。更に、大阪の97歳のお婆さんや 昨年に続いて仙台からお参り頂いた御家族など、私に対して大きな励ましを頂いた方も居て下さいました。勇気を頂いた気が致します。こんな時代だからこそ、観音様のお教え、思いやる心について、これからも人々に伝えて参りたいと存じます。皆様もどうか観音様の心を広めるお助けをお願い申し上げます。
今後とも当山「竹生島宝厳寺」をよろしくお願い申し上げます。


無事、御開帳を終えて…。

2010年06月05日

先ずもって、ブログの更新が遅くなり申し訳ございませんでした。やっと御開帳の山内後片付けが今日出来上がりました。御開帳の間 山内職員一同、少しでも皆様に良い気分でお参りを頂きたいと勤めてまいりましたが、行き届かない点も多くあったかと存じ、心からお詫びを申し上げます。
さて、私もその期間、多くの方々と観音様の御宝前にてお出会いをさせて頂きました。これまでマナーについていろいろと書いてまいりましたが、決してそんな方々ばかりではありません。茶髪にピアスで今風の若いお父さんが赤ちゃんの将来の幸せを願い一生懸命お祈りをしておられる姿、観音様のお姿を見つめていると何故か胸の中が熱くなって涙が止まらないんですと言って何時間も手を合わせていらっしゃるお嬢さん、ポトポトと落ちるぐらい汗をかきながら一心不乱に祈っている中年のお父さん。多くの皆さんが観音様の御前にて心を開き、素直な気持ちで手を合わしていただいた事に、本当に感謝しています。そして、きっと観音様から伝わってくる何かを其々の方が受け止めてくださったと信じています。何故ならば、観音様の願いは「苦しんでいる人を救いたい」「周囲の人の気持ちを汲み取ってあげたい」というもので、私たちの心の奥底にも同じように持っている気持ちだからなのです。(普段は忙しさ、我がままさに忘れがちになっていますが・・・。)だからこそ観音様の御心を我が心として もう一度再認識して頂きたいと皆様に一ヶ月の間 お声を掛けさせて頂いて来たのです。観音様の心が大きく世間に広がる時、幸せな社会となっていくでしょう。